福島へのクレイジーな旅-最終章(世の中の縮図)

 福島へのクレイジーな旅編、5回にわたり書き綴りましたが、いよいよ最終章です。

近年まれにみる濃い旅だったと改めて思います

 

 UFOふれあい館なるまさかの地球外生命体との遭遇、かと思えばそれらを祀っておるものは、地球の男であれば最も大切にしないといけないものが供えられておりました。

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 UFOに魂を持ってかれる心配もありましたが、何とか最後のスポットへ

 

 

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 なんとも絶景な滝(たぶん人口)が見えます。

 ここは何かというと、流しそうめん吾妻庵」なのです。

流しそうめんは、おそらく30年ぶりにちょっとした竹細工で作られたもので楽しんだ覚えがありますが、あんまり覚えていません

 

f:id:yamap1234:20171018210513p:plainこんな感じです。

しかし、今回の場所はスケールが違います。

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ちょっとぶれたけどこんな感じです。

 10人程度で流しそうめんを楽しむわけですが、そこで世の中の縮図が見えてきました。と同時に私がいかに小市民であるのかがわかってしまいました。

 流しそうめんというものは、当たり前だけど上から下にそうめんが流れてきます。逆流はまずありえませんね。で、これまた当たり前だけど席次がかなり重要であり、いわゆる上座下座というものは(たぶん)ありません。

 無意識での行動ですが、私は前から3番目の席に座っています。

 

 となるとどうなるのでしょうか?

 

 上流にいる二人が本気を出して、そうめんを食べるとしたら・・・

当然、後ろの人は食べることができないわけです

 回転ずしだってそうです。(注文という救済措置はあるけど)基本まわっているネタを上流にいる隣のお客さんがとってしまったら、当然食べることはできません。

 文句もいえず、まして下克上も起こすことはできません。

 仲間内とはいえ流しそうめんを本気で食べるのであれば、闘うか助け合うかどちらかしかないのです。

 結果的には助け合い、下流の人に気を使うことでみんなが満足できるのです。

バーベキューや焼き肉も本来はそうなのでしょう。

 ただ、これらはなぜ楽しいのか?本当に助け合うだけでは、ここまで楽しくないのかもしれません。私なりに考察するとやはりサバイバルであり、弱肉強食の世界だからだと思ってます。なので、私とそのようなものを楽しむ機会があれば、気を使う必要はないし、私も気を使いません

 

 そういうことにして、全く気の利かない私自身を正当化するのであります。

 

 これは、流しそうめんだけではありません。世の中も一緒です。

上流の人間がおいしい思いをするのは必然であり、そうでないのはおこぼれにあずかるのは世の中の必然であるのです。

 流しそうめんを通じて、私は上流へ行くぞと決意を固め、福島を後にしたのであった。帰りはおとなしく、東北本線を使って東京まで帰宅するのであった。

 

 おかげさまで東北本線は福島⇒上野まで完全制覇いたしました。

東海道線まで合わせると通算で、岐阜⇒福島まで制覇しているのである